1/2

107 君ヶ谷城

¥500 税込

なら 手数料無料の 翌月払いでOK

送料が別途¥500かかります。

◼️君ヶ谷城のご説明 千葉県富津市
君ヶ谷城は、白狐(びゃっこ) 川の河口から2kmほど上流の二又山に築かれました。地 元で二又山は、「要害」とも呼ばれているため、別名「二又山要害」とも称されています。 城麓を流れる白狐川は、君ヶ谷城の東側から北側へ、城山を取り巻くように流れており、君ヶ谷城は白狐川に囲まれた要害の様相を呈しています。標高約140m、比高約110mの主郭 からは、白狐川流域がかなり広域に見渡せるため、水運を押さえ、活用する城として機能 していたと思われます。あわせて、君ヶ谷城の城下には、沿岸部の元名へ抜ける近世の主 要街道が通っていることから、中世においても内陸から沿岸部に抜ける重要なバイパスの役 目をしていたと推察され、さらに君ヶ谷城の東麓は、天羽城がある相川地区へ抜ける山道 の起点になっています。これらのことから、君ヶ谷城が水陸交通の重要地に築かれたことが わかります。

君ヶ谷城の遺構は現在も良好に残っており、主郭に向かう尾根道に沿って、土塁や削平 された曲輪や岩盤を掘った堀切などを見ることができます。

君ヶ谷城の詳細は不明ですが、北東約8kmには峰上城があり、また、北西約2kmの 白狐川河口には海に面して築かれた海城である造海城が位置します。両城ともに、真里谷 武田氏築城と伝わるため、真里谷武田氏の時代には、君ヶ谷城は峰上城と造海城の支城 だったとも考えられ、両者を結ぶ中継点としての役目も担っていたと考えられます。

また、水運との関係も含め、とくに造海城の兵站基地であった可能性も大きいと考えられ ます。君ヶ谷城には、面積の大きい郭が尾根上に複数見られることから、広い平場を造れ る山を占地して尾根を削平し、意図的に平場を造り出していることが見て取れます。上総地 域の山稜部に築かれた中世城郭では、基盤となる山の地形がやせ尾根のため、尾根上に広 い郭を築くことが難しいにもかかわらず、あえてこのような造成をしていることから、造海城 の郭の狭小さを補うために、兵站基地として君ヶ谷城が使われた可能性が推察できます。

実際、主郭の東側の郭はかなりの広さになっており、当時は建物等があった可能性が大 きいと思われます。さらに先端部分には、枡形虎口のような地形が存在し、入念に造成さ れた痕跡が残っています。

真里谷武田氏に替わって里見氏がこの地域に入ってくると、造海城は里見氏の配下の内 房正木氏が管理していたと考えられていることから、君ヶ谷城も造海城の支城として、改修 整備されて使われたと推察されます。

◼️御城印のご説明
君ヶ谷城の御城印には、白狐川で繋がる造海城と君ヶ谷城の位置関係が分かる地図と、 沿岸部と内陸を繋ぐ尾根道が通っていた城山 「二又山」を含めた山容をデザインしました。

真里谷武田氏の家紋「四ツ菱」、里見氏の家紋「二つ引き両」、内房 正木氏の家紋「三つ引き両」を配置しました。また、房総半島沿岸部は、 対岸の三浦半島を領する小田原北条氏との激しい戦闘状態になった地 域でもあり、一時的に北条氏は造海城や峰上城などまで侵攻したため、 内房正木氏は北条氏に従っていた時期もありました。この時期の君ヶ 谷城についての詳細は不明ですが、北条勢力が入り込み、君ヶ谷城周 辺に軍事的緊迫感が広がっていたと思われることから、北条氏の家紋 「三つ鱗」も配置しました。

商品をアプリでお気に入り
  • 送料・配送方法について

  • お支払い方法について

¥500 税込

最近チェックした商品
    同じカテゴリの商品
      その他の商品