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⬛︎ 下富谷城のご説明 千葉県匝瑳市
下富谷城は、九十九里浜から約6km内陸に築かれました。下富谷城の東約1km には横須賀城、南東約5kmには野手城、また北約3kmには八日市場城があります。 九十九里浜一帯は約6000年前の縄文海進が終わると、海岸線が徐々に後退していっ たため、太平洋に面して数列の浜堤が形成されました。浜堤と浜堤の間は低地のため に湿地化し、沼沢地や潟湖となりました。下富谷城は、八日市場城の築かれた台地か ら数えると、3列目にあたる浜堤の上に築かれています。周辺が低湿地化した浜堤といっ た地形的特色を活かした防御性の高い城といえます。
また、周辺の沼沢地は要害性が優れただけではなく、水路としても使われました。八 日市場城や近隣の城との間で、舟運で連携が取れ、輸送が行えるという利便性もあっ たものと推察できます。
下富谷城の特徴として、集落全体を取り囲む土塁と堀があげられます。これは、環 濠集落としての優れた防御性、さらに堀には水を引き込んで水堀にしているのが見て取 れます。現在も集落の北側には長さ約600m、幅約4mの水堀及び水堀跡、それに伴 う土塁が残ります。
下富谷城の詳細は不明なものの、八日市場城主押田氏の後裔に伝わる『押田家譜 注記』には、「下総国八日市場同州横須賀城主」という肩書きが付けられていることな どから、横須賀城は押田氏の城だったと考えられています。そのため、横須賀城と隣接 する下富谷城も押田氏に関連する城だったと思われます。
戦国時代のこの地域は、香取の海、椿の海の制海権の掌握を狙う里見氏と、その 配下の正木氏の侵攻を頻繁に受けるなど、緊迫した状況にありました。そのため、横須 賀城とともに、有事の際には押田氏の本城八日市場城を守るための最前線の役目を 担ったと考えられます。
⬛︎ 御城印のご説明
下富谷は、平安時代には熊野神社神領となっていたとされ、それを証拠づけるように 現在でも下富谷集落の中心に熊野神社が鎮座しています。下富谷集落は、神領管理 のために下向してきた熊野神社の神官たちの居住地として始まったのではないかともい われています。御城印には熊野神社の象徴である「八咫烏」を描きました。
下富谷集落は、もともと「ジョウ」と呼ばれていたといいます。戦国期に作成された『下 総之国図」には、「チヤウ(ジョウ)」 と記載されています。「下富谷」という名称への 変更は、天正18年(1590年)の小田原の役後に為政者が変わったことによって行わ れたとされています。しかしながら、地元では現在でも、多くの住 民が下富谷集落のことを「ジョウ」と呼んでいます。おそらく、「ジョウ」 は「城(ジョウ)」であり、この地域に城が築かれていたと伝わる貴重な伝承といえます。御城印には「下総之国図」をデザインしました。 あわせて、下富谷城周辺地域を治めていた八日市場城主押田氏 の家紋「九曜」をモチーフにしました。
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