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103 横須賀城

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⬛︎ 横須賀城のご説明 千葉県匝瑳市
横須賀城は、九十九里浜から約6km内陸に入った横須賀に築かれました。 横須賀城の南東約4kmには野手城、また北約3kmには八日市場城があります。

九十九里浜一帯は約6000年前の縄文海進が終わると、海岸線が徐々に後 退していったため、太平洋に面して数列の浜堤が形成されました。浜堤と浜 堤の間は低地のために湿地化し、沼沢地や潟湖となりました。横須賀城は、 八日市場城の築かれた台地から数えると、第三列目にあたる浜堤の上に築か れています。周辺が低湿地化した浜堤といった地形的特色を活かした防御性 の高い城といえます。

また、周辺の沼沢地は要害性が優れただけではなく、水路としても使われま した。八日市場城や近隣の城との間で、舟運で連携が取れ、輸送が行えると いう利便性もあったものと推察できます。

横須賀城の詳細は不明なものの、八日市場城主押田氏の後裔に伝わる『押 田家譜注記』には、「下総国八日市場同州横須賀城主」という肩書きが付け られていることなどから、横須賀城は押田氏の城だったと考えられています。

天文4年(1535年)、古河公方足利晴氏と小弓公方足利義明の対立に端を 発した「野手合戦」が起きました。小弓公方方の八日市場城主押田氏が古 河公方についた野手氏の居城野手城に攻め寄せ、野手氏当主義長と子義治ら が討ち死にしたとされます。この戦いの際に、横須賀城がどのような状況だっ たかは不明ですが、戦国時代にこの地域が緊迫した状況に包まれていたこと が想像できます。野手合戦後、野手城は押田氏の城となり、八日市場城周 辺は押田氏によって掌握されました。横須賀城は八日市場城、野手城と連携 して機能していたと考えられます。

城跡は現在集落になっていて、遺構等は明確に残っていないものの、「戸 城(外城)」の字名が残り、地元には「向城」 「コヅメ (小詰か?)」という 城郭を連想させる呼び名も残ります。また、西側の長徳寺周辺には土手や水路が残っていて、当時の堀、土塁だと考えられています。

⬛︎ 御城印のご説明
城郭遺構があまり残っていない横須賀城ですが、江戸時代に描かれた絵図面 には、「コヅメ」を取り囲むように堀が巡らされている様子が描 かれています。また、長徳寺の西側には「鐘ヶ淵」と呼ばれる 沼があり、湿地帯に囲まれた微高地の様子が見て取れます。
御城印はその絵図面をモチーフにするとともに、周囲の関連 する城である八日市場城、野手城との位置関係が分かる地図 をデザインしました。あわせて、押田氏の家紋「九曜」をモチー フにしました。

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