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101 宮和田城

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◼️ 宮和田城のご説明 千葉県匝瑳市
宮和田城は借当川の南側に位置し、北に向かって大きく突き出した台地上に築かれ ました。この台地の北側突端には大浦城、西側突端には長岡城が築かれています。

宮和田城の築城等に関する詳細は不明ですが、伝承によれば千葉氏の系統で 椎名一族、宮和田氏の居城とされています。大浦城の大浦氏、長岡城の長岡氏は宮和 田氏とともに椎名一族の系統であると考えられていて、その立地から宮和田城、大浦 城、長岡城が連携して機能していたことが推察されます。

借当川は中世においては「境川」と呼ばれ、北条庄と南条庄の境界河川となっていました。宮和田城を含む借当川より南側は、当時は南条庄に属し、椎名氏が領していました。 一方、借当川より北側の北条庄は飯高一族が領していて、南条庄の椎名一族との間 でたびたび争いが起きました。それにより、緊迫したこの地域には多くの城が築かれた と考えられます。

宮和田城は、現在集会所が建っている区画が主郭だったと考えられていて、いまも周 囲には土塁が残ります。この主郭を中心に東西に曲輪が展開します。南側には街道が 通り、かつての城下の道筋と考えられています。その街道を挟んで西側には瘡神社が 建っていて、境内の西端には物見台と伝わる高まりが残っています。このように宮和田 城は、城下の街道を挟み込むような構造をしていることから、松山方面と飯高方面を結 ぶ街道の押さえの役目を担っていたと考えられます。宮和田城は借当川の水運のみなら ず、水陸両方の交通の要衝地に築かれ、大浦城や長岡城と連携して機能していた地域 の重要な城であることが見て取れます。

◼️御城印デザインのご説明
千葉一族椎名氏の系統である宮和田氏の居城と推察される宮和田城の御城印に は、千葉一族の家紋 「九曜」 をデザインしました。

また、水陸両方の要衝地に築かれた宮和田城の御城印には地形の分かる地図を配 置しました。あわせて、連携して機能していたであろう大浦城、長岡城の場所も地図 上に図示しました。

借当川は中世において、海上航海の難所である犬吠埼を避けて東北方面に向かう ための内陸太平洋航路として利用された水運の大動脈と考えられています。ルートとし ては、九十九里浜に結節する栗山川河口から、借当川を経て、椿海、香取の海、北浦、 涸沼、そして太平洋へ出ると想定されています。これらのことから、 宮和田城も水上交通の利便性を見込んで築かれたと考えられるた め、御城印には借当川と行き交う舟のイメージを描きました。

なお、かつては借当川に繋がる沼が宮和田城の北側に入り込ん でいたと考えられ、北側に残る物見台跡は船の行き来を監視してい たとも推察できます。

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