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◾️ 国府台城のご説明 千葉県市川市
国府台城は、旧利根川水系である太日川(現在の江戸川)沿いの標高25mほどの断崖上に築かれました。現在は、里見公園として整備され、堀切、空堀跡のなごりと見られる切通し状の坂道などが残っています。公園整備や戦時中の軍隊利用によって、当時の姿からかなり改変されましたが、土塁や櫓台と思われる遺構が確認できます。国府台は、眼下に渡河点があったため、度重なる合戦の舞台となりました。
文明10年(1478年)、扇谷上杉氏の家宰である太田道灌が長尾景春に与 した千葉孝胤(のりたね)を攻めるため、境根原合戦が起きました。その際 に道灌が陣城を国府台に構えたと伝わり、この戦いで敗れた孝胤は、臼井 城(佐倉市) に退却を余儀なくされます。孝胤追撃のため、文明11年(1479 年)、道灌の弟(一説には甥)の資忠が国府台に城を築いたとされ、この時 にはじめて国府台城が本格的に築城されたと考えられています。
その後は天文7年(1538年)、小弓公方足利義明が陣を構え北条氏綱と 戦った第一次国府台合戦や、永禄7年(1564年)に北条氏と里見氏が戦った 第二次国府台合戦などが繰り広げられ、国府台は度重なる戦いの舞台と なりました。その後の城主・城代は不明ですが、国府台城は戦いの度に堅 固な城郭として整備されていったと思われます。
◾️御城印デザインのご説明
天文年間になると、里見氏や真里谷(まりやつ) 武田氏といった大名たちが、一族の中で家督争いによる分裂を引き起こします。それぞれの支持をめぐり、各勢力間で抗争が起きました。これらは北条氏、里見氏、小弓公方、古河公方らを巻き込んでの対立へと発展し、天文7年 (1538年)、国府台にて小弓公方足利義明と北条氏綱の間で戦いが起きました。これが、世にいう第一次国府台合戦です。結果は義明の甥である古河公方晴氏の意を受けた北条氏綱が勝利、義明は壮絶な討ち死にを遂げました。 武勇に優れた義明は、自ら陣頭に立ち、指揮をとったと 伝わっています。御城印は、その義明の雄姿を描いた絵を モチーフにしました。さらに、第一次国府台合戦で戦った 足利氏と北条氏の家紋を上部に配置し、第二次国府台合 戦で戦った里見氏と北条氏の家紋を下部に配置し、動乱 の戦国時代をイメージしました。
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