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◾️ 仲島城のご説明 千葉県旭市
仲島城は、かつて存在した椿海(つばきのうみ)の南側の台地に築かれました。椿海 を水堀代わりとした要害であったと考えられます。かつて、この地域は「大田村」と呼ば れており、『旭市史』には、椿海に面した湊町だったと書かれています。
椿海は江戸時代初期に干拓されるまで存在した巨大な湖で、現在の東庄町、旭市、 匝瑳市にまたがって広がり、その大きさは東西 12km、南北4kmにおよびました。古 代から中世において、重要な水運を担う水上交通の大動脈でした。そのため、椿海を 囲むようにたくさんの城郭が築かれました。
現在、仲島城の周りは開発され住宅地となっていますが、浅間神社を中心に周囲に は平場が残っていて、腰曲輪や土塁などの城郭遺構が確認できます。
仲島城の築城などに関する詳細は不明ながらも、正中元年(1324年)に千葉一族の 大須賀尾張守が築城したとされ、大須賀八左衛門が城主となったと伝わっています。
戦国時代、仲島城の大須賀氏は福岡城 (匝瑳市) の城主押田氏と連合していた時 期があり、東総地域における反小田原北条氏の中核となっていたようです。天文16年 (1547年)、大須賀氏は、押田氏とともに仲島城を拠点に北条方の勢力と戦ったと伝わ り、「大田合戦」と呼ばれる激しい戦いが行われたとされます。仲島城では、500名以 上の戦死者が出たと伝わります。
さらに、大田合戦の3日後には、八日市場城にて「八日市場合戦」が行われ、この戦 いでも 800名近くの戦死者が出たと伝わっています。これらの戦いを経て、東総地域 の反小田原北条勢力は、ついに北条氏の勢力下に入ったと考えられています。
永禄元年(1558年)には、加瀬肥後守が城主だったと伝わり、大須賀氏に代わって 加瀬氏が仲島城に入ったと考えられています。その後、永禄8年(1565年) に里見方の 正木時忠が府馬方面から来襲。その後も度々、正木氏による攻撃を受けますが、加瀬 氏はこれを撃退したと伝わります。
豊臣秀吉による小田原の役 (1590年)の際に仲島城は降伏開城し、その後、廃城と なりました。
◾️ 御城印デザインのご説明
千葉一族大須賀氏が築城した仲島城の御城印には、千葉一族の家紋「九曜」をデザインしました。 また、低い台地でありながら、椿海を水堀代わりに使用した要害であった仲島城Mの地形が分かる地図をモチーフにしました。中世期においては、椿海沿岸にはたくさんの城が築かれており、仲島城もそれらの城と 水上交通を介して連携していたと思われ、内陸部の河川湖沼の水 運や湊の掌握を目的とする水城 (みずじろ)の機能を有していたと 推察されます。
何度も合戦があったとされる伝承を持つ仲島城の御城印には、 舟で攻め寄せる戦いの場面をイメージとして描きました。
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