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96 天神山城

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◼️ 天神山城のご説明 千葉県富津市
天神山城は上総湊へと注ぎ込む湊川の河口を見下ろす丘陵に築れました。

山頂からは、 湊川と東京湾を臨むことができ、 水上交通の要所であったことが分 かります。

丘陵部は断崖絶壁の様相を呈し、特に西と東斜面は急峻で自然の要害となって います。 主郭北側には大きな堀切が施され、掘り切られた先には出曲輪のような空 間が設けられています。 この曲輪は主郭に集まる尾根の結節箇所にあたるため、主 郭と接する東側の堀切以外にも、 南側と西側が掘り切られ、尾根を分断していま す。小さな空間ながらも、防衛上重要な位置付けであったことが見て取れます。

城山の北麓は 「天神台」と呼ばれ、天神社が祀られています。 天神台と呼ばれる エリアは開発され、住宅地になっているため旧状は不明ながらも、 平場が階段状に 形成されていたと思われる痕跡が残っています。 また、天神台の西側には「根古屋」 の地名が残っています。 このことから、 天神台周辺が城主の居館や家臣の屋敷だっ た可能性が指摘されています。

天神山城の築城などに関する詳細は不明ですが、 真里谷武田氏が文明年間 (1469年-1487年)に築き、 その後、 小田原北条氏配下の戸崎玄蕃頭勝久が天神 山城を居城としていたとも伝わっています。

弘治3年(1557年) に、 北条氏が「天神山」に兵糧を運び込む指示を出している 史料が残っており、この「天神山」 が天神山城に該当すると考えられています。 この ときには内房正木氏の正木兵部大輔が天神山城を管理していたと思われ、北条方 として在城していたようです。

天神山城は史料に乏しいものの、緊迫した状況下で真里谷武田氏、 里見氏、正 木氏、 北条氏などの勢力の移り変わりが推察され、 小田原の役の後は廃城となった と考えられます。

◼️御城印デザインのご説明
真里谷武田氏、 里見氏、 正木氏、北条氏の勢力下に置かれていた天神山城の 御城印には、それぞれの家紋、武田氏の「四ツ菱」 里見氏の 「二つ引き」、 正木氏の「三つ引き」、北条氏の「三つ鱗」をデザインしました。

天神山城は湊と河川交通を管理する役目を持っていたと思われることから、地形の分かる地図をモチーフにしました。

また、弘治3年 (1557年) に北条氏から兵糧が運び込まれ た史料が残っていることに因み、兵糧を積んだ舟が天神山城に 向かうイメージを図柄化しました。

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