・翌月にまとめてお支払い可能
・手数料無料(口座振替の場合)
・アプリでご利用金額を確認できて安心
¥400 税込
なら 手数料無料の翌月払いでOK
送料が別途¥500かかります。
◼️ 岩ヶ崎城のご説明 千葉県香取市
岩ヶ崎城は、かつての内海 「香取の海 (現利根川)」に向かって伸びる台地の北 端に築かれました。 城山の標高は30m程ですが、湿地や湖沼、海に囲まれた要害 だったと考えられます。 現在、 城山には稲荷神社と愛宕神社が祀られています。周 辺には「城之内」 「堀之内」 「カラ堀」「大手」 「若殿宿」などの地名が残っています。 現在でも千葉県と茨城県の県境にあたる岩ヶ崎城は、 中世期においても下総国と常陸国の国境にあたることからも、岩ヶ崎城の緊迫した状況が推察できます。 岩ヶ崎城の詳細は不明ですが、 千葉一族国分氏が築城に着手した可能性はあ りそうです。国分氏の本城は矢作城 (大崎城) ですが、 水運の抑えのため、さらには 国境の防衛のために岩ヶ崎城を築城したとも考えられます。国分氏の主家である 千葉氏が小田原北条氏の配下となると、 国分氏も北条氏に属しました。 そのため、 岩ヶ崎城も北条氏方の城として、里見氏や正木氏、さらには常陸国の佐竹氏に備 えたと考えられます。
天正18年(1590年)の小田原の役によって北条氏が滅び、 関東に徳川家康が入 部すると、 岩ヶ崎城には家康配下の鳥居元忠が入り、 下総矢作藩4万石が立藩さ れました。 元忠は藩統治の拠点のひとつとして岩ヶ崎城の大規模な改修整備を始 めたとされています。 おそらく、常陸国佐竹氏への備えだと推察されます。
しかし、関ヶ原の戦いの前哨戦にあたる伏見城の戦いで元忠は戦死。 これにより、岩ヶ崎城の改修が中止され、 元忠の息子忠政が磐城平藩へ移封されると、矢作藩は廃藩となり、岩ヶ崎城は廃城となりました。
◼️ 御城印デザインのご説明
要害性の高い岩ヶ崎城の御城印には、海に向かって突き出す城山の地形がわかる地図をデザインしました。
そして、 千葉一族国分氏ゆかりの城であるため、 千葉一族の家紋「九曜」 を配置しました。あわせて、天正18年以降に入部した鳥居氏の家紋 「竹に雀」 「鳥居」 を配置しました。
また、徳川家康から信頼の厚かった鳥居元忠ゆかりの城であることから、 元忠の所用兜 「鉄錆地椎実形兜」、 所用籠手 「袖付三本筒籠手」をモチーフ にしました。 これらは、 元忠を祭神とする栃木県都賀郡壬 生町に鎮座する精忠神社の社宝です。 さらに鳥居元忠画像 (壬生町 常楽寺所蔵) をモチーフにしました。
壬生は岩ヶ崎から陸奥国磐城平藩、 出羽国山形藩、 信濃 国高遠藩、 能登国下村藩、近江国水口藩への転封を経て、 正徳 2年 (1712年) に鳥居家が入封した地であり、明治維 新を迎えた地です。
送料・配送方法について
お支払い方法について
¥400 税込