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◼️ 金山城のご説明 千葉県鴨川市
金山城は鴨川から久留里、 君津、 大多喜、 木更津の各方面に抜ける街道 筋の丘陵に築かれました。 標高約140mの城山を取り巻くように金山川が蛇 行して流れており、 水上交通と陸上交通の要衝地にあたります。 現在、 城山 の北から東南にかけては金山ダムがあり、後世の大規模改変を受けています。 南麓には 「宿」の地名が残り、周辺に根古屋集落が形成されていたとも 考えられています。
金山城の築城等の詳細は不明ですが、 長狭地方と上総国中央部を結ぶ街道を押さえる役目を担っていたと考えられます。 城内には堀や土塁が残り、 石積みを伴う桝形虎口が確認できます。
金山城は戦国時代末期には、正木憲時と里見義頼の抗争の舞台となりま した。 小田喜城 (大多喜町) 城主だった正木憲時は、 里見義堯、 義弘の 同盟者として小田原北条氏と懸命に戦いました。 義弘の死後、遺領の相続 をめぐり義弘の嫡男梅王丸と義頼の間で抗争が勃発。 機先を制した義頼に よって梅王丸とそれを支持する勢力は制圧されました。 その際、義頼に対し て正木憲時が反旗を翻したのが、 天正8年(1580年)に起きた「正木憲時の乱」 と呼ばれる争乱です。
義頼は先制攻撃に出て、瞬く間に数城を攻め落とし、 太平洋岸の地域を 制圧しました。 憲時は小田喜城と興津城 (勝浦市) を拠点に、 義頼方となっ た吉尾城 (勝浦市) を攻撃するなど抵抗しました。 しかし、憲時は徐々に 追いこまれ、天正9年9月、 小田喜城でその生涯を終えました。この争乱 の際に、金山城は憲時方の城だったことが 『椙山文書』 にて確認されています。
◼️御城印デザインのご説明
金山城は詳細不明ですが、 平安鎌倉時代には長狭地方を領していた長狭 氏の城とも、地頭 東条氏の城とも、 里見義実の安房統一の締めくくりの城 とも伝わっています。 里見義実の攻撃によって、東条氏の郎党が身を投げた 「長九郎滝」 (ダム工事で消失) が伝わるなど、落城伝説も残っ ています。それらの真偽は不明ながら、 地元に残る伝承か らかつて近くに存在した 「長九郎滝」 と伝わる滝をイメージ しました。
あわせて、史実である正木憲時と里見義頼の抗争の舞台 となったことから正木氏の家紋「三つ引き両」と、里見氏の 家紋「二つ引き両」 を配置しました。
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