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82 下小川城

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⬛︎ 下小川(しもおがわ) 城のご説明 千葉県香取市
下小川城の詳細は不明ですが、小見川城主粟飯原氏の重臣成毛宗親 の城と伝わります。 現在、東光院血当寺が建っている場所が下小川城とされ、 周辺には 「堀之内」、 「蔵屋敷」などの地名が残っており、 周りを水田に囲 まれた微高地となっています。

下小川城の北方約 3kmには千葉一族粟飯原氏の小見川城があり、 里 見氏の侵攻を防ぐために、急遽、 従前の寺院を改修して小見川城を守るた めに城郭として整えたと考えられています。

永禄3年(1560年) の上杉謙信(長尾景虎)の関東出陣に呼応し、里 見軍の将である正木時忠が下総国に侵攻しました。 正木氏は「橋向城」と 呼ばれる陣城を現在の小見川中央小学校の場所に築き、小見川城を攻撃 し、永禄9年(1566年) まで在城したと伝わります。 その際に小見川城を 守るため、 里見軍の橋向城に対峙するように築かれたのが別名「川向城」 と呼ばれる下小川城と考えられています。

血当寺は里見軍撤退後の永禄10年(1567年) に 城としての役目を終 えた下小川城の跡地に成毛宗正が父宗親のために創建したと伝わります。

⬛︎御城印デザインのご説明
下小川城の御城印には小見川城と里見軍正木氏の陣城 「橋向城」、 そ して下小川城の位置関係がわかる地図をデザインしました。

あわせて、 血当寺に残る 「明応4年」 (1495年) と読み取れる文字が記 された貴重な頭部山形双塔板碑をモチーフにしました。 頭部山形双頭板 碑は下総地方特有のものといわれる大変貴重な板碑です。しかしながら、 現 地に残る板碑は摩耗が激しいため、 御城印には復元イメー ジした板碑を描きました。

そして、千葉宗家の家紋 「月星」、千葉一族の家紋 「九曜 」 、 小見川城主粟飯原氏の家紋 「三本竹」 を配置しました。

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