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81 大島砦

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⬛︎ 大島砦のご説明 千葉県香取郡多古町
大島砦は標高32mの丸山及びそこに繋がる北西側台地の基部に築かれました。 現在、 丸山の山頂には熊野神社が鎮座しています。 城郭遺構は確認できないものの、 東側先 端には人工的な平場があり、 栗山川を見下ろす位置に当たることから、 櫓台の可能性も 考えられます。

大島砦の詳細は不明ですが、 千葉胤貞による築城とも伝わっています。 平安末期から、 多古は 「千田荘」 という荘園の中心地で平家一門の藤原親政(ふじわらのちかまさ) の領地を経て千葉氏の領地となります。 千葉氏は源頼朝に助力し、鎌倉幕府の成立に 大きく貢献、そして勢力を拡大していきました。

しかし、鎌倉幕府が滅亡すると、 千葉一族も足利尊氏派 (北朝) と後醍醐天皇派 (南 朝) に別れて戦いました。 「千田殿」 と呼ばれ、 千田荘を本拠とした千葉胤貞は尊氏派に、 胤貞の従兄弟の貞胤は後醍醐天皇派につき、一族は対立して戦うことになったのです。 多古は争乱の舞台となり、鎌倉時代から南北朝時代にかけて多くの城が築かれました。 そのような状況の中で、 大島砦も築かれたと考えられます。

大島砦の北方わずか1.5kmには、 志摩城が築かれた「島」 があります。島は中世 期割符 (さいふ) 取引 (為替取引) が当時の金沢称名寺領であった茨城県久慈との間 で行われていたことが、文献上も明らかとなっている全国的にも珍しい場所であり、中世期 の商業的繁栄が推測される場所です。 享徳の乱に端を発した千葉一族のお家騒動の 際は、このように重要であった志摩城に千葉宗家当主胤直が籠城しました。そしてその後、 志摩城城内にあったと思われる妙光寺 (現正覚寺) にて自刃したとされています。

千葉氏にとって志摩城は重要な城であり、 その志摩城の前面の防衛の役目を担って いたのが大島砦であるとともに、 栗山川を中心とする水運の監視所として、重要視された ことが推察できます。

⬛︎御城印デザインのご説明
大島砦の東側を流れる古代からの水運の大動脈である栗山川は、 大島砦付近で多 古橋川に分岐、さらに志摩城付近で借当川に分岐します。 まさに、 大島砦と志摩城は3 本の河川を掌握する場所に位置しており、古代からこの地域の水上交通の要衝地であっ たと思われます。 大島砦の御城印は、 大島砦、 志摩城の位置や、 多古橋川、 借当川、 栗山川および明治時代においても残っていた湖沼 (現在の多古光 湿原) がわかる地形図をモチーフにしました。

栗山川流域は古くから水上交通が発達していたため、たくさんの 丸木舟が出土しています。 そのため、 御城印には丸木舟をデザインし ました。 栗山川、 借当川流域における縄文時代の丸木舟の出土数 は全国の5割を占めているといいます。

あわせて、 千葉一族の家紋 「九曜」 「月星」 をデザインしました。

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