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75 真里谷城

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⬛︎ 真里谷(まりやつ) 城のご説明 千葉県木更津市
真里谷城は、 東京湾に注ぐ小櫃川の支流である武田川の上流部に位置する 丘陵に築かれました。 真里谷城は山間部に位置しますが、城下には市原に通じる 街道も通り、 そこから小櫃川の水運を利用すれば、 久留里、 亀山方面へと通じ、 さらに木更津方面に出れば江戸湾の水運も利用できる交通の要衝地です。

享徳の乱に際し、 古河公方足利成氏によって房総半島に送り込まれた武田氏 が上総に進出するための重要な足がかりとして築いた山城です。

甲斐の守護、 武田信満の子で成氏の近臣だった武田信長は房総半島に勢 力を持っていた関東管領上杉氏に対するため 「足利成氏朝臣旗」 を手に、里 見義実とともに房総半島に入部しました。

上総武田氏はまたたく間に上総を制し、 長南城 (長南町) を本拠に各地に城 を取り立て勢力を拡大していきました。 その中で、 長南城と並んで中心的な城だっ たのが真里谷城です。 真里谷城の武田氏は「真里谷武田氏」 とも呼ばれ、中心的な一族として発展していきました。

天文6年 (1537年)、 真里谷武田氏の中で争いが起き、 峰上城主の武田信 隆が真里谷城の信応に対抗しました。 これが里見義堯と北条氏を巻き込んだお 家騒動となり、これを機に武田氏の勢力が弱まっていき、 房総半島は里見氏対北 条氏の対立という時代に動いていくことになります。

⬛︎御城印デザインのご説明
真里谷城跡は現在 「少年自然の家キャンプ場」 になっており、 その建設時 の調査では掘立柱建物跡や陶磁器、 焼けた壁土などが発掘されています。主 郭から出た貿易陶磁は、 多くが15世紀後半から16世紀前半のもので、 真里谷 武田氏の威信財として相応しい高級な遺物といえます。そのように上総武田氏の 中心的城郭だった真里谷城の御城印には武田氏の家紋 「四菱」 を配置さ らに地元に伝わる「武田三河守」 座像をデザインするとともに、堀や土塁、 虎口 などの遺構が良好に残る真里谷城の鳥瞰図をモチーフにしました。 真里谷武田氏内紛時の 「真里谷城」 については、まだ 不明なことが多く今後の研究が待たれます。

また、市内にある前方後円墳「金鈴塚古墳」から出土し た 「金鈴(国重要文化財) 」 は木更津が古代から重要な地 であったことを示すものとして取り入れました。

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