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68 松尾城

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⬛︎ 松尾城のご説明 千葉県山武市
松尾城は明治2年に築かれた松尾藩の城です。 明治元年に徳川家が駿河、 遠 江に移封になったことを受けて、 遠江国掛川藩は上総国に国替えとなりました。 当初 は芝山観音経寺 (山武郡芝山町)を仮藩庁としたため、柴山藩と称していましたが、 その後、大堤村、猿尾村、 八田村、 田越村の村域に新たに城郭を築き、藩庁と 城下町を建設することになりました。 新たな城郭は、 九十九里浜を望む木戸川東岸 の台地に占地され、 西洋の稜堡式多角形要塞の建築が始まりました。

そして、掛川城本丸の南にあった 「松尾池」、 その南の 「松尾曲輪」 に因み、 城名を「松尾城」としました。 明治3年に藩庁 (現松尾自動車学校) と藩主の居 館である御住居地 (現松尾中学校)、そして城下町が完成すると、 柴山から移り、 藩名を「松尾藩」に改称し、太田資美を藩主とする松尾藩5万石が成立しました。 しかし、明治4年に廃藩置県を迎えたため、松尾藩はその他の諸藩とともに松尾 県に組み込まれ、 松尾城は未完のまま廃城となりました。

松尾城は当初の計画では四稜郭の予定でしたが、地形等の制約により、最終 的には三稜郭となりました。 三稜郭は日本では松尾城が唯一となる貴重な遺跡です。

⬛︎御城印デザインのご説明
松尾城の御城印には、松尾藩主太田氏の家紋 丸に桔梗」 をデザインしました。 松尾藩が成立したときの当主資美から数えて15代前の当主が道灌 (資長)にあた ります。 道灌は桔梗紋を好んだと伝わっています。あわせて、 「違い鏑矢」の家紋も デザインしました。この家紋は桔梗紋よりも古い時期から太田家で使われていたともいわれています。

そして、「臨時築法四稜城之図」 をモチーフにしました。これは松尾城の計画絵 図と考えられていましたが、調査の結果、 16世紀初頭にオランダが植民地に築いた 城塞とほぼ同じであることが判明しました。 この絵図の入手経路などは不明なものの、 松尾城築城には蘭学が大きな影響を及ぼしたことが分かる貴重な 図面といえます。

さらに御城印には掛川城の天守をデザインしました。 掛川城から 移封になりながらも、新たな城名と藩名に「松尾」の名を付けた 藩主と藩士らの想いが偲ばれます。

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