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65 飯高城

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⬛︎ 飯高城のご説明 千葉県匝瑳市
飯高城は借当川北岸の標高約36mの丘陵に築かれました。 現在の飯高寺 ( は んこうじ) 周辺が城域とされていて、 南方には飯高城の支城とされる飯高砦、 新砦、 さらに東方には天神砦が築かれています。これらのことから、広義の飯高城はかな り大規模であると考えられ、台地全体を城郭化することで連携して飯高城の防衛に 当たっていたと推察されます。

鎌倉時代中期から南北朝期において、当地は千葉一族である飯高氏の本貫地 でした。そのため、 飯高氏が築城したとの伝承もありますが詳細は不明です。

戦国期には平山刑部少輔が飯高城を居城にしていたと伝わっています。 平山 氏は千葉氏、ないしは小田原北条氏に属していたとされるため、 飯高城は小田 原の役をもって廃城となったと考えられます。

平山刑部少輔は日蓮宗に篤く帰依しており、 天正19年 (1591年) に城地の すべてを寄進し、日蓮宗の檀林として飯高寺が開かれたといわれています。 ( 飯高 寺は天正8年、 平山刑部少輔を開基としています。)

周辺には 「城下 (ねごや)」 「鳴子山」 「腰巻」など、 城郭に関連する地名が残っています。さらに飯高寺の境内には、 空堀、 土塁、 腰曲輪などの城郭遺構も残っていて、戦国期の飯高城の構造や規模がわかります。

⬛︎御城印デザインのご説明
飯高寺は戦国時代の終わりから明治7年(1874年) まで、 日蓮宗の学問所 である檀林として栄えました。 日本三大檀林と呼ばれ、多くの学僧を輩出しました。 この檀林が立正大学の前身です。 飯高寺の境内全体が県指定史跡に指定され ています。

飯高寺の地にかつて存在した飯高城の御城印には、江戸時代に建てられた山 門をモチーフにしました。あわせて、 飯高氏の出自である千葉氏の家紋 「月星」、 千葉一族の家紋 「九曜」 をデザインしました。さらに、徳川家の家紋 「三つ葉葵」 をデザインしました。 飯高寺は徳川家康から寺領 30 石の寄進を受け、さらに家康 の側室 「お万の方」 と繋がりが深い寺でした。 お万の方は、 正木氏の出で、日蓮宗に深く帰依しており、 飯高寺に今に残る 妙見菩薩もお万の方の奉納によるものです。そのことから、御城 印には、妙見菩薩をイメージし描きました。さらに、お万の方は 講堂を寄進するなど、 飯高檀林の繁栄に尽力しました。

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