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⬛︎ 沼闕 (ぬまかけ) 城のご説明 千葉県香取郡東庄町
沼闕城は、 「東庄県民の森」 となっている比高20mの台地に築かれ、かつて存在した「椿の海」に向かってそびえ立っていたと思われます。 大部分が公園化して原形が失われてしまっている ものの、 要害だった趣を十分に残しています。
現在、 補陀洛山福聚寺が建つ場所は、沼闕城の主郭だったと思われ、周囲には土塁、 空堀、 腰曲輪などの遺構が残ります。
北方は 「香取の海」 に面し、 陸奥に繋がる交通の要衝でもありました。
源頼朝の鎌倉幕府設立に尽力した千葉 (東) 胤頼の三男盛胤が居館を築いたのが始まりとされ、その後も千葉氏の庶流である東氏が沼闕城主となりました。 東氏は戦国時代には主家の千葉一族とともに小田原北条氏に属し、 天正18年(1590年) の小 田原合戦で滅びたとされます。
沼闕城はその地名から、別名「小南城」とも呼ばれ、この小南には徳川家康の関東入封の際、松平 (久松) 定勝が3000石で入部しました。 定勝は家康の義弟で、 伊予松山藩祖となる人物です。
このことからも、沼闕城が築かれた小南の地の重要性がわかります。
⬛︎御城印デザインのご説明
沼闕城の南方にはかつて 「椿の海」 が広がっていました。 椿の海は、海上(うなかみ)、香取、匝瑳(そうさ) の3郡にわたり、東西10kmを超える大きな湖でした。
寛文11年(1671年) に、 鉄牛和尚が干拓事業を完成させました。 それにより、18の村ができ、「干潟八万石」 と呼ばれる一大穀倉地帯となりました。 椿の海は、城下にある「八丁堰」として名残りをとどめています。
その功績により、 鉄牛和尚は寺地を幕府から寄進され、 福聚寺を建て晩年を過ごしました。 御城印には椿の海と、その椿の海に向かって張り出す沼闕城の台地をモチーフにしました。 そして、 千葉一族である東氏の家紋 「九曜」をデザインしました。
なお、東庄町発行の須賀山城、 沼闕城の両御城印は、日本のみならず海外でご活躍の英国王立美術協 会の名誉会員でもある岩井颯雪様にご揮毫いただきました。
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