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63 須賀山城

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⬛︎ 須賀山城のご説明 千葉県香取郡東庄町
須賀山城は中世には「香取の海」と呼ばれた広大な内海に面する台地の上に築かれました。 標高50mほどの 城山の周囲は、かつては低湿地に囲まれていたと思われ、 天然の要害となっています。

源頼朝の旗揚げの際、ともに戦って功を上げた千葉(東) 胤頼が、 東庄と三崎庄 (旭市) を拝領しました。 そ して居館を築いたのが須賀山城の始まりと考えられており、代々、東氏の居城として利用されていきました。

ちなみに胤頼は、三浦義澄とともに源頼朝に挙兵をすすめたとされる頼朝の側近中の側近です。 その後、須賀山城が手狭になったためか、西側に森山城が築かれ、 両城が一体をなしながら戦国の城へと 改修整備されたと思われます。

千葉氏が小田原北条氏に属すと、 常陸の国境である須賀山城、 森山城はさらに重要性が増し、 須賀山城は森 山城の「外郭部」としてさらに改修整備されていったと思われ、 城内には戦国期の遺構が良好に残っています。 西麓の東氏の菩提寺である芳泰寺には、胤頼夫妻のものと伝わる墓が残っており、 また、北東麓の東福寺は胤頼の父である千葉常胤ゆかりと伝わる薬師如来を本尊としています。

さらに、この寺には天正6年(1578年) の千葉邦胤に関する古文書も伝わっており、 戦国時代になってもこの地域と千葉一族の繋がりの強さがわかります。

⬛︎御城印デザインのご説明
御城印には、連携して機能していたであろう須賀山城と森山城の築かれた台地と、かつて北方に広がって いた「香取の海」をデザインしました。 そして、 千葉一族である東氏の家紋 「九曜」 を配置し、東常縁の絵図をモチーフにしました。

常緑は、東氏のもう一つの所領であった美濃国の篠脇城主でした。 享徳の乱の際に下総で千葉氏の内紛 が起きると、室町幕府から東国に派遣され、 森山城に入ったとされます。 また、 東氏は代々和歌の家柄で、 特に常縁は古今伝授を行えるほど、当代きっての一流の歌人でした。 東氏の祖である胤頼も和歌や文化に 秀でていて、朝廷から昇殿を許される従五位下を賜っていました。

なお、東庄町発行の須賀山城、 沼闕城の両御城印は、日本のみならず海外でご活躍の英国王立美術協 会の名誉会員でもある岩井颯雪様にご揮毫いただきました。

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