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59 長部城

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⬛︎ 長部 (ながペ) 城のご説明 千葉県旭市
長部城は旭市北部の長部地区西側台地上に築かれました。 現在、 大原幽学記念館が建っている一帯が長部城にあたります。この台地は西方の広大な台地から東に向かって半島状に突き出していて、 西側以外は水田地帯になっており、 長部城の周辺は当時湿地だったと思われます。 「要害」から変化した であろう「龍ヶ谷(ゆうがい)」と呼ばれていた地であることからも、 要害性が高いことが見てとれます。 築城年代などの詳細は不明ですが、 千葉一族である松澤氏が城主だったと伝わっています。 松澤氏 は千葉常胤の子、 国分胤通の一族であると伝わり、 松澤荘を領して「松澤」 を名乗ったとされ、9代に 渡り続いたともいわれています。

落城廃城の時期も不明ですが、天正18年(1590年)に千葉氏が属していた小田原北条氏の小田原 城が陥落すると、それに伴い長部城も城としての役目を終えたと考えられます。

城内には戦国期と思われる空堀、土塁、 櫓台などが残っています。特に、 城内南東に残る櫓台からは、 直下に通る街道や長部城の周辺を見渡すことができます。幕末に改変されているものの、土塁に囲まれた方形の曲輪なども良好に残っています。

⬛︎御城印デザインのご説明
現在、 長部城は大原幽学記念館が建ち、 史跡公園として管理されています。

幕末の農村指導者として名高い大原幽学は、 尾張藩大道寺家の出身と伝わります。 幽学は諸国を遊 学した後、 天保6年(1835年)以降は長部村名主遠藤氏の依頼を受け、 長部城の跡地を活動の拠点 にしました。幽学は、 「先祖株組合」 と呼ばれる世界初の農業組合をつくった人物です。 さらに、道徳と 経済の調和を基本とした「性学」 という独自の思想のもと、 長部村の農村改革を指導しました。 御城印は、幽学が指導に当たっていた教導所「改心楼」 の絵図をモチーフにしました。また、この改心楼は長部城当時の要害地形が生かされていて、幽学自身も城の遺構である土塁や空堀、 櫓台を好んで利用していたと伝わります。

しかし、人を集めていたこと、 改心楼が城郭のように見えたことなどから、幽学は幕府の嫌疑を受け、 取り調べられ、有罪となりました。 そして、 安政5年(1858年) 3月、 幽学は失意のうちに自害しました。 御城印は長部城の姿を残したまま建てられた改心楼の絵図をモチーフにするとともに、 千葉一族の家紋 「月星」、 そして、 要害性のわかる地図をデザインしました。

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