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⬛︎ 金谷城のご説明 千葉県富津市
金谷城は鋸山から北に伸びる丘陵に築かれました。 眼前には浦賀水道が広がり、さらには上総国と安房国の 境に当たる要衝の地です。 東京湾を挟んで、 三浦半島を指呼の距離に望むことができ、 金谷城は諸勢力の水軍 拠点の海城として使用されていたと推察されます。
築城主や築城年代は不明ですが、 天文年間(1532年~1555年) 初頭の段階では、里見実堯の居城であっ たと考えられています。
史料上の初見は、 天文22年 (1553年) の文書で、それによると里見氏の庇護を受けていた妙本寺 (鋸南町)の住持日我が戦乱から逃れるために、 金谷城に経典などを運び込んで避難するも戦火で焼失したといいます。 里見氏の庇護する妙本寺の住持が金谷城に避難していることから、 金谷城が当時、 里見方の城だったことがわかります。 その後、 金谷城は内房正木氏の管理下に置かれたと考えられます。 正木氏は小田原北条氏に属していた時期 もあり、 その際は金谷城も北条方の城となりました。 詳細は不明ですが、 正木氏が再度里見氏に属すようになると、 金谷城は里見方の城として機能したと思われます。
佐貫城、 造海城、 勝山城が里見氏の拠点として整備されていくと、 金谷城は造海城の支城として連携し存続していったと推測できます。 現在、城址にはスポーツセンターが建ち、 当時の城の姿は失われているものの、 その立地から戦国期には里見氏、 小田原北条氏の紛争の舞台であったことが見て取れます。
⬛︎御城印デザインのご説明
金谷城の御城印は、この地域のシンボルである鋸山をモチーフにしました。 金谷城は開発の際に発掘調査が行われ、 たくさんの遺構と遺物が検出されています。 調査によると、中心になる時期は16世紀前半から中頃と考えられていて、礎石や掘立柱建物が数棟見つかっています。 切石を積んだ石積や、 岩盤を削って造られた石塁などが見つかっています。虎口は岩盤を削り精巧に造られ、 検出された柱穴から四脚門 を伴った虎口だともいわれています。それらにより、城主や代官が常駐していた城の可能性も指摘されています。
御城印には検出された石積みや虎口をデザインしました。
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