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45 次浦城

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⬛︎ 次浦城のご説明 千葉県香取郡多古町
次浦城は、栗山川の支流である沼田川沿いの台地上に築かれました。 現在、この台地上には、次浦の集 落が広がっています。 標高は約30mほどで、周囲には自然地形を人工的に加工した形跡が見てとれ、 北側 は切り立った崖となっています。

この台地の北西側一郭には、土塁と空堀で囲まれた方形の区画が残っています。 この辺りは地名 (字名) を「城山」といい主郭と思われますが、 城域全体が集落と重なっているため、 その他の城郭構造は不明です。 しかし、周辺には城郭に関連する 「馬場小屋」 「内小屋」 「土橋」 「馬場道」 などの字名が残り当時を偲ばせます。 築城年代や城主は不明ですが、 次浦八郎常盛の居城だったとも伝わり、この人物は千葉常兼の弟、 粟 飯原五郎家常の4男であることから、 千葉一族との関連が指摘されます。

多古は「千田荘」とよばれる荘園で、 千葉一族の支配地でした。 千葉宗家当主の胤貞は 「千田殿」 と呼 ばれていて、 千葉宗家と多古が密接に関係することがわかっています。 鎌倉幕府滅亡後に多古の土橋城 周辺で起きた 「土橋合戦」 には次浦氏も関わっていて、この次浦城を拠点に戦いに臨んだと思われます。 また、次浦氏は土橋城下にある東禅寺の大旦那だったことも金沢文庫古文書からわかっています。 その後もたびたび多古が戦いの場になると、次浦城も城郭として拡張整備されていったと考えられます。

⬛︎御城印デザインのご説明
次浦城から800mほど西方に次浦八郎常盛の館と伝わる居館跡があります。 このことから次浦の台地周 辺一帯を次浦氏が治めていたものと推測できます。

その居館跡近くの山中に 「矢指塚」 といわれる塚があります。 これは、後三年の役で源義家に従い出陣 した次浦常盛が戦いに勝利し戻った際に、戦場で使わず残った矢を記念に埋めた、もしくは前九年の役 の凱旋の際に、義家が上総の海岸に100本の矢を1里ごとに突き刺しながら戻ってくる途中、この次浦に 最後の1本を埋めた記念の塚とも伝わります。

次浦の台地に城館が築かれたことから、台地の地図をモチーフにし、 千葉一族の家紋 「九曜紋」 を配置 しました。 そして、矢指の伝説にちなみ 「矢」をデザインしました。

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