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⬛︎ 久保城のご説明 千葉県香取郡多古町
久保城は、千葉氏宗家当主千葉胤貞 (1288年-1336年) が居館として築いたものと伝わります。 多古の中心と もいえる中村に創建された古刹日本寺の古文書にも、胤貞の居館は 「久保 (窪)」にあったと記されています。 久保城は土地の伝承と古文書からも、「千田殿」 と呼ばれていた胤貞の存在を裏付ける重要な城といえます。
同じく中村の分城や中城は、 久保城を守る防衛拠点として胤貞が築いたとされています。 平安末期から、多古は「千田荘」 という荘園の中心地で千葉氏の領地でした。 千葉氏は源頼朝に助力し、鎌倉 幕府の成立に大きく貢献、そして勢力を拡大していきました。
しかし、鎌倉幕府が滅亡すると、 千葉一族も足利尊氏派と後醍醐天皇派に別れて戦いました。胤貞は尊氏派 につき、後醍醐天皇派についた従弟の貞胤と争いました。 そのような中で多古も戦の舞台となり、 多くの城が築かれました。 戦国期に入り、また戦乱の舞台となった多古の城は整備拡張されて使われていたと思われます。 久保城周辺には土塁や空堀などの遺構が残っています。
⬛︎御城印デザインのご説明
久保城は、中世には湖沼等低湿地帯が広がっていた栗山川流域を見下ろす台地の西端に築かれました。 久保城の直下には、 栗山川から日本寺がある中村の台地に向かって谷津が入り込みます。 久保城は、まさ 中村の台地の入口に当たる要衝地ともいえます。 現在の久保集落のある台地全体を取り込むように館を 構えたと思われます。
御城印には、久保城周辺の地図をデザインし、千葉氏の家紋 「月星」 を配置しました。 また、千葉氏は承久の乱の功で肥前国小城郡 (佐賀県小城市) を領地としていました。 胤貞の祖父頼胤、 父宗胤が元寇に際し九州に異国警護番として赴くと、胤貞の叔父である胤宗とその子貞胤が本領の下総国 の実力者となったため、 胤貞は本領の千田荘と小城の統治に腐心しました。 千田荘では中村を中心とし、自 らが帰依していた日蓮宗寺院を厚く保護しました。
そして、領国経営を始めた小城では、 東国文化を持ち込み、 九州千葉氏の祖となりました。 小城には九 千葉氏ゆかりの城跡や寺院などが今でも残り、その歴史を今に伝えてくれます。 御城印には、その小城 にある九州千葉氏の菩提寺「松尾山光勝寺」に残る胤貞座像を描きました。
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