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41 玉造城

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⬛︎ 玉造(たまつくり) 城のご説明 千葉県香取郡多古町
玉造城は栗山川東岸に位置し、その支流常磐川との合流域を北に望む樹枝状台地の先端に築かれています。 小丘ながらも三方を急峻な崖に囲まれた天然の要害となっています。 郭、腰曲輪、空堀、土塁 などの遺構が残っており、 現在残る南北二つの郭から、直線的に連なる連郭式城郭の姿が推測できます。 北側の郭には土塁が良好に残り、 南西隅には八幡神社が祀られています。 八幡神社の高まりは櫓台と思 われ、南側郭との間の空堀と合わせて、守りを固めているのが見てとれます。

この城の築城者等詳細は不明ですが、弘安年間(1278年~1287年) に野平伊賀守常弘が城主であっ たと伝わり、南北朝期においては、千葉胤貞による日本寺防衛のための北側の要塞として整備された可 能性も指摘されています。

天正16年(1588年)に城主だった野平常義は城を明け渡し僧になったとも伝わりますが、戦国期に野平氏 は小田原北条氏方に属していたとされ、城跡には天正18年4月没の常義の墓碑も残っています。そして、 同年の小田原合戦で北条氏が豊臣方に敗北すると、 玉造城も開城となりました。

⬛︎御城印デザインのご説明
「城下には「宿」という小字名が残っていて、 街道が通り、城下が形成されていたことが推測できます。また、「門 「場」という屋号を持つ家があることからも、そこに城の木戸があったことが推測でき、当時の城の姿が浮か んできます。それらのことから、御城印には江戸時代に描かれた絵図をモチーフにしました。 「伊賀守居城」 や「大手」などの文字も見てとれます。 また、櫓台が玉造城のシンボルと考え、 現在、 八幡神社が建て られている現地の景色をデザインしました。

小田原北条氏の敗戦で城が明け渡しとなった際、 野平氏の佐良姫がさらわれそうになったのを佐竹義重 が助けたという伝承が残り、 佐良姫は税のかからない免祖田をもらい庵を立て、暮らしたといいます。その 地は今でも「サラ免」という名で呼ばれているといい、 土地には玉造城を偲ぶ伝承が色濃く残ります。

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