1/1

40 分城

¥400 税込

送料が別途¥400かかります。

⬛︎ 分(わけ) 城のご説明 千葉県香取郡多古町
分城は、中世には湖沼等低湿地帯が広がっていた栗山川流域を見下ろす舌状台地の先端に 築かれました。 築城年代や城主は定かではありませんが、居館が「窪 (久保城)」にあったとされ る千葉氏宗家当主千葉胤貞 (1288年-1336年)が防衛拠点として分城を築いたとも伝わります。 主郭と推測される方形の区画には、千葉氏の守護神である妙見神社が祀られており、その周囲 には土塁や空堀、 物見台が良好な形で残っています。 妙見神社の社は、文政年間に今の場所に 移されたといい、それまでは「一の屋敷」 といわれる分城の東側周辺に置かれていたと地元では伝わっ ています。

主郭をめぐる土塁はほぼ一周しており、途中に張り出しが設けられていて、横矢が掛かる構造になっ ていますが、今に残る城の姿はいつの時代のものか定かではありません。 南北朝時代、胤貞は北朝方につき、南朝方についた従弟の貞胤と戦いました。そのような中で多古も戦いの舞台となり、 その騒乱が下総国に広がっていきました。 分城周辺でも戦闘行為が繰り広げられたのではないでしょうか。

⬛︎御城印デザインのご説明
分城は小城ながらも、かつての広大な低湿地帯の名残りである栗山川を見下ろすことができ、水 上交通の要衝だったことが見てとれます。 これは、千田荘 (下総国匝瑳郡 現在の多古町周辺) を領地にしていた千葉氏宗家当主胤貞が築いたとされる伝承にふさわしい眺めといえるでしょう。 御城印には分城の城山の姿と、かつて麓近くまで迫っていたであろう湖沼をデザインしました。そし て、千葉氏の家紋 「月星」 を配置し、 分城の縄張図をモチーフにしましました。

胤貞は日蓮宗に深く帰依しており、 胤貞が創建した日本寺をはじめ日蓮宗の古刹が今でも多古に は多く残っています。中世から変わることなく歴史が引き継がれている多古の実り豊かで美しい自然の 残る風景を描きました。

商品をアプリでお気に入り
  • 送料・配送方法について

  • お支払い方法について

¥400 税込

最近チェックした商品
    同じカテゴリの商品
      その他の商品