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38 土橋城

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⬛︎ 土橋城のご説明 千葉県香取郡多古町
土橋城は、 栗山川西岸沿いの南北に伸びた台地先端に築かれています。 この地は水陸交通の要衝で、 栗山川という水運の幹線と、 城下を走る佐原への街道 (多古街道)という陸上の幹線を押さえるための 場所だったと考えられています。

隣り合う谷筋にあり、 土橋城とも深い関係をもっていた土橋山東禅寺は、鎌倉幕府以来の名刹である 金沢山称名寺(横浜市) と繋がりが深く、中世において房総半島でも中心的な寺院でした。土橋城は その東禅寺の出入り口をも見張る役目も担っていました。

南北朝時代に千葉氏は一族で分裂し、 南朝方の千葉貞胤と北朝方の千葉(千田) 胤貞が従兄弟どう しでありながら争うことになりました。 この南北朝の争乱では 「土橋合戦」 といわれる戦いが土橋城で繰り 広げられたことが「金沢文庫文書」に残ります。

その後も「享徳の乱」 に端を発した千葉宗家滅亡の戦いにも土橋城は関連したと思われ、まさに交通、政治、経済等の最重要地だったのです。 現在、土橋城の南側、 栗山川を見下ろす台地南端の高まりに、千葉氏の信仰である妙見様が祀られ ていますが、その高まりは水陸の街道を見張る物見台だったと考えられています。 遺構としては薬研の堀や、 その堀と食い違いに掘られた堀も確認されており、 南北朝の争乱から戦国期へと時代が進む中で堅固な 城へと改変されていった土橋城の姿が想像できます。

⬛︎御城印デザインのご説明
土橋城の城下には「船渡」という地名が残っており、今は水田になっている土橋城の周辺は、中世におい ては船が行き来できる立地であったことが推測できます。

さらに土橋城と一体を成している東禅寺は、中世には房総の中心的寺院であり、各地からたくさんの産物などの行き来があったと思われ、その荷の上げ下ろしがされる湊が土橋城の眼下にあったと考えられます。 そのことから御城印には土橋城が築かれた台地の遠景をデザインし、入江を描き、船を浮かべました。さら に地形の分かる地図をモチーフにし、 千葉氏の家紋 「月星」 を配置しました。

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