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30 飯沼陣屋

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⬛︎ 飯沼陣屋のご説明 千葉県銚子市
飯沼陣屋は下総国海上郡飯沼村(現在の銚子市陣屋町) に置かれた上野国高崎藩の陣屋です。 現在の陣屋公園一帯に相当します。

海上郡周辺は、中世には香取の海が広がる水運の要衝地でした。 平安時代から戦国時代に かけては、 千葉一族である海上氏が領地としていました。 海上氏は銚子周辺に中島城などの 城を築き、 円福寺などの寺院も保護し、 勢力を拡大していきました。

しかし、海上氏が小田原北条氏とともに没落すると、徳川家康配下の松平 (五井) 伊昌(こ れまさ)が下総国に入封、 海上郡内 4000 石を加増され、銚子に陣屋を築いたとされます。 五 井松平氏の陣屋の場所は定かではありませんが、後の高崎藩銚子陣屋と同じ場所だった可能性も指摘されています。 陣屋は、五井松平氏の遠江国移封により、 廃されました。 そして、その後、 高崎藩の出張陣屋として築かれたのが飯沼陣屋です。 松平 (大河内) 輝貞 が享保2年(1717年)に高崎に入った際、海上郡の7村を与えられ、 陣屋を築いたとされます。 以来、明治まで高崎藩の出張陣屋として存続しました。

陣屋周辺には水堀がめぐらされ、長方形の区画に長屋門、 役所などが配置されていたといいます。

⬛︎御城印デザインのご説明
高崎藩は約150年間にわたり、銚子を統治しました。 郡奉行1人、 代官2名を銚子に派遣し 領内の年貢の徴収や治安維持に当たらせました。 御城印は、弘化4年(1847年) に描かれた『高 崎藩銚子陣屋地図』をモチーフにしました。 陣屋の屋敷の配置や、 陣屋を囲む水堀などが描かれ、 当時の姿を今に伝えています。

また、江戸時代になると利根水運が江戸に通じるようになり、銚子は江戸への中継港となり ました。そのため、東北諸藩の船や日本海から江戸に向かう北前船も銚子に寄港し、銚子の町 は発展しました。 その船と渡辺崋山が描いた銚子の町をモチーフにしました。

崋山は文政8年(1825年) に武蔵、 常陸、 下総、上総めぐりの旅に出ました。 そのとき、 崋山 が描いた「四州真景図巻」 が残っていて、銚子の海や町も描かれています。 「新町大手、 奉行屋敷」 と書かれた絵は、陣屋周辺を描いたものと思われていて、 酒屋の土蔵や、 陣屋の門 高札など が描かれ、 銚子の活気を感じることができます。

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