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29 中島城

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⬛︎ 中島城のご説明 千葉県銚子市
中島城は利根川に面する標高40mほどの台地に築かれ、 東西約500m、 南北約400mを城域とする 大規模城郭です。 中世には香取の海に面する水運の要衝地にあたり、 千葉一族海上氏の居城と考え られていて、戦国期には千葉氏の下総統治の拠点のひとつだったと思われます。 周辺に残る海上氏ゆかりの寺院には、鎌倉期の仏像が安置されており、 また、周辺からは鎌倉時 代の経筒も出土しています。 これらのことからも、すでに鎌倉期には海上氏がこの地域を本拠地に していたと考えられていますが、折れを伴う空堀などの遺構から、現在の形態は戦国期の城郭であ ると思われます。 空堀の一部には湿地となっている箇所もあり、中世城郭には珍しい台地上の帯曲 輪部分に水堀の存在が指摘される貴重な城です。

海上氏は平安期に両総平氏の常衡、 常幹父子を祖として歴史舞台に登場しましたが、まもなく衰 退しました。 鎌倉時代になると、源頼朝の幕府樹立に貢献した千葉常胤の子、 胤頼から始まる東氏 の庶流が海上庄を領して、海上氏を名乗りました。 そして、 室町期には鎌倉公方の奉公衆となり、 勢力を拡大していきました。 「戦国期になると、 千葉宗家当主昌胤の庶子だった胤富が婿として海上氏を継ぎ、 森山城(香取市)に入りました。 その後、 胤富が千葉宗家に戻り、当主として本佐倉城に入りましたが、 胤富との関 係からその後も中島城や森山城は整備拡張されたと考えられます。 城内の堀跡付近と思われる箇所から大量の石塔が出土しており、詳細は不明ながらも、永禄年間 には正木氏による下総侵攻、 そして天正18 年には千葉氏が属していた北条氏の小田原城が落城するなどの流れの中で中島城も落城し、破城された可能性もあると考えられています。

⬛︎ 御城印デザインのご説明
「海上氏は「鶴の丸」を紋としていました。 平安時代末期に、源頼朝から海上常幹が鶴亀のついた扇 を下賜されて以来、 海上氏の紋として「鶴の丸」が使用されていたといいます。 千葉胤富の印判とし て有名な「鶴丸型黒印」は、当初、海上氏を継いだ胤富が海上氏の「鶴の丸」に基づいて作成したもの と考えられています。 御城印は胤富の鶴丸の印判と、千葉一族の家紋「九曜」をモチーフにしました。 中島城は香取の海に面する水運の重要地であり、周辺には津が点在していました。 御城印には、野 尻や高田といった中島城と関連する湊集落がわかる地図をデザインしました。 これらの湊を拠点に活 動する戦国期の流通商人の存在も確認されていて、その代表格が 「宮内清右衛門」であり、城下には「み 「やせい」という地名も残ります。 水運を介した流通商人も中島城とともに海上氏発展の一因を担って いたのです。

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