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⬛︎ 成東城のご説明 千葉県山武市
成東城は九十九里平野を臨む標高45mほどの台地に築かれました。 現在は城の中心部が成東城 跡公園として整備されています。
作田川が近くを流れ、 現在はその支流が成東城の裾野を囲むように流れています。 成東城は台地 全体を利用して築かれていて、現地を歩くとその規模を感じることができます。さらに、台地東南にあたる 九十九里海岸方面には遮る丘陵が全くなく、 成東城が水上交通の要であったことが見て取れます。 成東城は鎌倉時代以降、この地を治めていた印東氏が築城したとも伝わりますが、今に残る遺構は 16世紀以降のものと考えられています。
1450 年代に印東氏がこの地を支配しなくなった後は本佐倉城を拠点にした馬加千葉氏の勢力下に なり、 千葉勝胤の子、 胤定 (鳴戸八郎)が城主として成東地域を治めたといいます。 永禄12年(1569年)頃には正木氏による下総侵攻があり、 成東城もその混乱に巻き込まれたと思われ、そういった状況下で改修されながら機能したと思われます。
台地全体を利用して築かれた成東城は、本佐倉城や土気城などといった両総の主要城郭に匹敵する規模であることからも、この地にこれほどの城を築ける勢力がいたことを物語る城といえます。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉が小田原城の北条氏を攻めると、 成東千葉氏当主の将胤は北条方として戦い、討ち死にしました。 小田原北条氏が滅亡し、 徳川家康が関東に入封すると成東には家康配下の石川康通や青山忠 成などが配属されましたが、 元和6年(1620年)に廃城となりました。
⬛︎御城印デザインのご説明
宅地化が進み、一部は破壊されているものの、 成東城には遺構が良好に残っています。 土塁、 空堀、 虎口、 切岸などの防御が施され、堅固な城であったことがわかります。 主郭は三方に土塁を巡らし、 取り囲む空堀も折れを伴い、防御制を高めていることが見て取れます。 戦国期の姿を色濃く残す成東城の御城印には、台地全体を城郭化し広大な城域を誇る成東城の地形がわかる地図と縄張図をモチーフにしました。
鎌倉時代からこの地を領有していた千葉氏の家紋 「月星」 と 「九曜」、 そして、 享徳の乱を契機とし、 主家を滅ばし千葉氏当主となった馬加千葉氏の家紋 「月星 (星が真上)」 をデザインしました。
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