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22 大野城

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⬛︎ 大野城のご説明 千葉県いすみ市
大野城は夷隅川中流域の丘陵先端部に築かれ、北は夷隅川、東は大野川、西と南は谷津に囲まれた 天然の要害です。

隣接する光福寺が上総狩野氏ゆかりの寺院であることからも、 大野城は15世紀には狩野氏の居城だったとされています。

狩野氏は伊豆国狩野荘 (伊豆市) を発祥とする一族です。 伊豆国守護であり、南北朝時代以降、上総 国を支配下に置いていた上杉氏との関係から狩野氏も上総国に入ったと考えられています。 鎌倉公方が房総 半島に送り込んだ武田氏、 里見氏らに対抗するためと推察できます。

しかし、発掘調査によると、 大野城は狩野氏がいた時代より後の16世紀後半まで使用されていたことがわかっ ています。大野地域は小田喜城(現在の大多喜城)の正木氏と万喜城の土岐氏に挟まれていて、そのどちら かの勢力が大野城を支城としていたと思われます。

戦国時代末期には、この地域は小田喜正木氏の勢力下にあったと思われ、 小田喜城の支城として使われていたと考えられます。

現在、八幡神社が鎮座する場所は、「要害」とよばれ、 主郭とされる区画の鬼門に当たり、往時の居館の姿が偲ばれます。

大野城は大規模な破城の跡が調査で検出されていて、天正18年(1590年)に徳川家康の関東入部に 伴い、上総国に入ってきた本多忠勝が万喜城から大多喜城に移るときに破城されたものと考えられています。

⬛︎御城印デザインのご説明
大野城は戦国期には、正木氏の小田喜城と土岐氏の万喜城の境目の城として重要な役目を担ってい たと思われます。その大野城の御城印には、 夷隅川などの河川に囲まれ、 要害となっている地形がわかる 地図をデザインしました。

そして、正木氏の家紋 「三引き両」と土岐氏の家紋「水色桔梗」 を配置しました。

さらに大野城の築かれた大野の地は狩野派の祖である狩野正信生誕地ともいわれています。真偽は定 かでありませんが、 狩野氏ゆかりの地であることから御城印は狩野派の山水画をイメージし、 大野城が築かれた夷隅川沿いの美しい景色を描きました。

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