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20 小見川城

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⬛︎ 小見川(おみがわ) 城のご説明 千葉県香取市
小見川城は香取の海に突き出した半島状の標高40mほどの台地の上に築かれました。 現在、城跡は小見川城山公園になっていて、部分的ではあるものの、戦国期の土塁や空堀が良好に残ります。

建久年間(1190年~1199年) に千葉一族である粟飯原朝秀によって築かれたという伝承がありますが、 築城に関する詳細は不明です。 現在残る遺構は戦国期のものであり、香取の海と直結する水運の要衝のため常に地域の要として機能していたと考えられ、代々、 粟飯原氏が居城としました。

永禄3年(1561年) 上杉謙信(長尾景虎)の関東出陣に呼応し、 正木時忠が下総国に侵出、小見川城も攻撃を受けました。 そのような戦国期の状況を経て、 小田原北条氏がこの地域にも侵出してくると、主筋の千葉氏とともに北条氏に属しました。

天正18年(1590年) 豊臣秀吉による小田原攻めの際には、当主俊胤は主君千葉重胤とともに小田 原城へ駆けつけ豊臣軍と戦いました。 しかし、 小田原城は落ち、それとともに小見川城も落城しました。

⬛︎御城印デザインのご説明
千葉一族である粟飯原氏の小見川城の御城印には、千葉宗家の家紋 「月星」、そして千葉一族の家紋「九曜」、さらには粟飯原氏の家紋「三本竹」 を配置しました。 小田原北条氏が豊臣秀吉に攻められ小田原城が落ちると、徳川家康が関東に入ってきます。そのときに徳川配下の武将たちが同じく関東に配属されました。

粟飯原氏は小田原合戦での敗北後、 家康の子信吉に仕え佐倉に入り、 粟飯原氏の後に、 小見川に 入封したのが松平家忠です。 家忠は忍城に入った後、 小見川に移封され、 慶長5年(1600年) 関ヶ原 の戦いの前哨戦である伏見城の戦いに出陣し命を落としました。

その後、土井利勝などの入封や一時の廃藩を経るも、小見川藩は藩として明治まで存続しました。

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