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17 興津城

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⬛︎ 興津城のご説明 千葉県勝浦市

興津城は別名奥津城ともいい、 興津湊から北側の丘陵上に築かれま した。標高120mを超え、湊から眺めるとかなり屹立した山城に見えますが、 そのまま北側の平地に続く立地となっています。 城山の南側には湊に続く 道が通り、北側の尾根上には主要街道が通り、 興津城はその抑えの役 目を担っていたものと考えられます。

鎌倉時代からこの地にゆかりのあった佐久間氏が城を築いたのが始まり とされ、詳細は不明ですが、 その後、戦国期になると上総武田氏や 木氏が城として取り立てたとされます。 現在は戦国時代の遺構が良好に 残ります。

天正8年(1580年) に正木憲時が里見義頼に対して反乱を起こすと、 興津城は里見軍に攻められました。このとき里見軍に攻められた興津城は 周辺を攻撃され、わずか城郭部分のみがかろうじて落とされずに残る危 機に追い込まれました。 妙本寺に残る文書 「里見義頼書状」によると、 「興 津巣城計 (おきつすじろばかり)」と書かれていて、その緊迫した状況を生々 しく伝えてくれます。

その後の詳細は不明ですが小田喜正木氏が滅ぶと、 勝浦正木氏の 城として機能したと思われます。

⬛︎御城印デザインのご説明
丘陵上の南側が主郭とされ、 方形の区画となっています。 土塁や空 堀、櫓台も良好に残っていて晴れた日には興津湊のある大海原を望む ことができる興津城の御城印は、 縄張図と地形図をモチーフにしました。

主家である里見氏に反旗を翻したことにより、 正木氏 は家中で分裂。 これにより、 房総半島の戦国史に多大 な影響を及ぼしました。 御城印には正木氏の家紋「三 つ引両」をデザインしました。

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