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15 幸谷城

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⬛︎ 幸谷(こうや) 城のご説明 千葉県柏市
幸谷城は 「きつね山」と呼ばれる小丘に築かれ、 城山の東側と南側には谷津がめぐっています。 今も近くまで川が入り込んでいて、城が使われていた当時も手賀沼に流れる河川を利用して機能して いたことが推測できます。

千葉一族相馬氏の居館ともいわれていましたが、近年は調査による出土物などにより、15世紀後 半に築かれ16世紀まで使われていた可能性が指摘されています。 食い違い虎口や複数に折れる土 塁や堀から、 増尾城と同じように小金城主高城氏に関連する城と想定できます。

本土寺過去帳には、文明17年(1485年)の「コウ城」での戦闘行為による討ち死者の記録があり、 「コウ城」 が幸谷城を指している可能性があることからも、 幸谷城の北方に位置する増尾城との関連 が推測でき、同時に機能していた両城の姿が浮かび上がります。

⬛︎御城印デザインのご説明
幸谷城一帯は鎌倉時代から南北朝時代には相馬御厨という伊勢神宮の荘園でした。 千葉一 族の相馬氏が領地としており、 幸谷城は相馬氏の居館だとする伝承も残っています。 さらに千葉氏 系の氏族がいたと想像できる一族の信仰のシンボルである妙見さまが、 幸谷城付近には今でも祀ら れているため、御城印には千葉一族の家紋 「九曜」を配置しました。 さらに相馬氏ゆかりの地であ ることから相馬氏の家紋 「繋ぎ馬」をデザインしました。

幸谷城の北東には高まりがあり、物見台と伝わっています。 物見台からは北方向に位置する増尾 城がよく見え、増尾城側にも幸谷城を臨む位置に櫓台が残っています。 そのため、 幸谷城と増尾城 の御城印には同じ櫓をデザインするとともに、 幸谷城と増尾城が築かれた小丘を描き、 お互いに連 携していた両城をイメージしました。 また、調査で検出された土塁、堀、 物見台が分かるよう実測 図をモチーフにしました。

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