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⬛︎ 前ヶ崎城のご説明 千葉県流山市
前ヶ崎城は富士川右岸に沿って北に突き出した標高20m前後の台地の上に築かれました。 現在は突 端の主郭が前ヶ崎城址公園として整備されており、土塁や空堀、 櫓台を確認することができます。 築城の経緯などは不明ですが、 本土寺過去帳には 「前崎落城打死」の記事があり、 前ヶ崎城にて戦 闘が行われたことが分かります。 ここで討ち死にを遂げたのは太田六郎と戸張彦次郎と記され、この二人 は扇谷上杉氏の家宰太田道灌の将と思われます。
文明10年 (1478年) に道灌が国府台城に陣を構え、 長尾景春に与した千葉孝胤 (のりたね) の軍と境 根原合戦で戦いますが、その前哨戦として前述の本土寺過去帳に記されたように前ヶ崎城で戦闘があっ たと推測できます。
その後も城の経緯詳細等は不明ですが、 「刑部郭」という地名が残ることから、 高城氏の属将、 田島 刑部少輔が前ヶ崎城の城主でだったのではないかなどいくつかの説が伝っています。 千葉氏の一族であ る高城氏は下総国で勢力を拡大、千葉氏の内訌を経てその後は北条氏に属し、 根木内城、 小金城 と本拠地を拡大していきました。前ヶ崎城はそれらの支城として機能したと思われます。
⬛︎御城印デザインのご説明
坂川上流域の奥まった場所に位置し、東側に富士川谷津、西側に名都借谷津、北側に八木谷津という3つの谷津が合流する地点の台地に築かれた前ヶ崎城の御城印は、その特徴のある地形をモチーフに しました。さらに前ヶ崎城の西側にある名都借城、東側にある幸田城、 中金杉城もデザインの中に描きました。 これらの支城で高城氏の本拠である根木内城や小金城の守りを固めていたと思われます。 本土寺過去帳に 「前崎落城打死」 と書かれた戦いは、太田道灌と千葉孝胤が戦った境根原合戦の前 哨戦と推測されるため、合戦となった千葉氏の家紋「九曜」 と 「月星」、 太田氏の家紋である「丸に細桔梗」 を配置しました。
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