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111 勝山陣屋

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⬛︎勝山陣屋のご説明 千葉県安房郡鋸南町
水上交通の要所にあたる勝山には、戦国時代には里見氏の勝山城が築かれ、湊、 城、城下町が一体化して発展しました。慶長19年(1614年)の里見氏改易後は、 徳川譜代大名の内藤氏が入り、安房勝山藩の政庁として勝山陣屋を築きましたが、 藩主の早世などにより、やがて廃藩となりました。その後、勝山一帯は小浜藩酒井家 の所領となり、寛文8年(1668年)に小浜藩主酒井忠直が、甥の忠国に1万石分地 したことによって、忠国は大名に取り立てられ勝山に入り、小浜藩の支藩として勝山藩 が誕生しました。勝山藩は、最終的な石高が1万2千石の小藩ではあるものの、徳 川譜代大名酒井家が明治維新まで9代200年にわたって治め、幕府内において、江 戸湾防衛のために重要な役目を担いました。

勝山陣屋は、現在の勝山港通りの南側一帯で、山を背にして東西北は幅4間ほ どの堀と土塁に囲まれ、中央に陣屋屋敷が置かれていたとされます。現在の勝山漁 業組合に至る港通りが堀跡であり、敷地は、堀を含めて約4500坪で、陣屋を囲ん で城町、城前、内宿の構成で町が形成されていたといいます。今でも勝山の町には、 筋違い道や暗渠など、城下町の名残りが残っています。

⬛︎御城印デザインのご説明
勝山陣屋の南側丘陵が、里見氏が対北条氏のために築いた水軍基地「 です。標高80mの八幡山が城山にあたり、眼下に現在の勝山漁港を臨むことができ ます。この漁港が、勝山城の湊だったと考えられ、勝山がいつの時代も、江戸湾に面 した重要地であったことがわかります。御城印には、勝山湾と勝山城の城山を描きました。

また、勝山陣屋跡には、陣屋屋敷の台所の井戸と伝わる石組みの井戸が残って います。この井戸は、往時を偲ぶ大事な遺構であることから、御城印のモチーフにしま した。あわせて、幕末期に描かれた陣屋絵図を配し、さらに酒井氏の家紋をデザイン しました。

勝山は、江戸時代には捕鯨が盛んに行われ、地域にとって重要な産業でした。勝 山の捕鯨は、ツチクジラという種類のクジラでした。江戸湾の捕鯨の祖とも称される醍 醐新兵衛(初代定明)は、寛永7年(1630年)に勝山村に生まれ、鯨を捕る鯨組や 解体する出刃組、鯨油を摂る釜前人足など500人規模の組織をつくり、差配しました。 勝山城と湾を挟んだ南側の「大黒山」と呼ばれる丘陵は、江戸時代には鯨を見張るた めの山だったといいますが、地形的に中世期においては、里見軍の 勝山城と連動する江戸湾の監視施設だったと思われます。

山腹には醍醐新兵衛の墓が建てられていますが、勝山の勇猛な 捕鯨の漁師たちには、戦国時代の水軍の血や気風が流れている のかもしれません。捕鯨は、勝山地域と海の繋がりを示す重要な歴 史であるといえるため、御城印にはツチクジラを描きました。

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