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⬛︎ 関宿城のご説明 千葉県野田市
関東平野の中心に位置し、多くの川が交差する関宿は、中近世を通じて水 運の要衝として重視されていました。関宿城は、長禄元年(1457年)、古河公 方の有力家臣であった築田氏により築かれたと伝わります。
築田氏は古河公方の外戚であり、筆頭家臣でもありましたが、その後台頭して きた小田原北条氏によって、築田氏は外戚の地位を奪われます。北条氏は、 北条氏綱の娘が生んだ古河公方足利義氏を関宿城に入れ、拠点化を図ります が、築田氏は永禄4年(1561年)に関東へ出兵してきた上杉謙信の後ろ盾 を得て、後に関宿城を奪還しました。その後、築田氏と北条氏の間で3度にわ たる攻防戦「関宿合戦」が繰り広げられ、天正2年(1574年)に関宿城は落 城しました。北条氏康は「関宿を手に入れるのは、一国を取ることと同じ」て 双の名地」と評価しており、いかに北条氏が関宿城を重要と考えていたかがよく わかります。
天正18年(1590年)の小田原合戦後、徳川家康の弟である松平康元が初 代関宿藩主となりました。関宿は、江戸を守る重要な場所として関所が置かれ、 以降、小笠原氏、板倉氏、牧野氏、久世氏など譜代の大名が城主となりました。 関宿城の天守閣は寛文11年(1671年) 正月に大破しましたが、後に江戸城 富士見櫓を模して再建されました。明治4年(1871年)の廃藩置県により関宿 藩が廃止され関宿県が置かれると、関宿城もその役目を終えました。
関宿城は、大半が江戸川堤防工事によって消失しているものの、江戸時代に 描かれた「正保城絵図』 などから、関宿城の姿を推測することができます。また、 江戸時代の関宿城は、基本的には戦国時代の関宿城を改修整備したと考えら れており、戦国時代の関宿城の姿を、わずかに残る遺構や現地の地形、江戸 時代の絵図などから偲ぶことができます。
⬛︎御城印デザインのご説明
水運の要衝にあたる関宿城の御城印には、歌川広重「下総利根川之図』 をモチーフに、行き交う舟を描きました。あわせて、関宿城埋門をデザインしました。
埋門は、かつて関宿城三の丸に設置されていたもので、廃城後に民間に払い 下げられ移築保存されています。この埋門は平時は本丸までの通用門として使用 されていたといいます。有事が起き、籠城する際には、内側を 3分の2の高さまで土で埋めて、敵の侵入を防ぐという役目を担っ ていたとされます。門の鬼瓦には、久世氏の家紋「久世鷹の羽」 があしらわれています。
御城印には、関宿城主築田氏の家紋、古河公方足利氏 の家紋、久世氏の家紋を配置しました。
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